城防衛の最重要拠点!虎口の役割や種類を知ってお城見学を楽しもう!

一般の住宅と同じように、お城にも兵士が通るための出入口があります。

ただ、お城とは本来、住居ではなく要塞としての役割を担う場所であるため、出入口にも敵の侵入を防ぐためのさまざまな工夫が施されていました。たとえば、間口を極端に狭くしたり、通路を屈曲させたり。すでにご存じの方も多いかもしれませんが、このように防衛機能を備えた出入口のことを、一般的に「虎口(こぐち)」と呼びます。城兵が出入りする虎口は、敵がお城を攻めるうえでもっとも狙いやすい地点ともいえるため、防衛側としては、虎口の防御をどう固めるかということが攻城戦を勝ち抜くうえでの最重要課題でした。

それでは、お城の虎口には実際にどのような工夫が施されていたのでしょうか。

今回は、虎口の役割や種類などについて詳しく解説していきます。

虎口(こぐち)とは?

前述の通り、虎口(こぐち)とは、防衛機能を備えたお城や陣営の出入口のことを指します。

現在では「虎の口」と書くのが一般的ですが、もともとは「小口」という漢字が使われていました。これは、敵の大量侵入を防ぐために、お城の出入口を小型化したことに由来するといわれています。

それでは、なぜ「小口」が「虎口」と書かれるようになったのでしょうか。

一説では、非常に危険な場所または危険な状態を意味する「虎口(ここう)」から、小口の「小」が「虎」に置き換えられ、「虎口(こぐち)」と表記されるようになったと考えられています。そもそもお城の出入口は、城兵が出入りできるように堀や土塁、城壁などを設けていないため、お城のなかでも比較的防御力の弱い地点といえます。当然、敵も集中的にそこを狙ってくるため、攻城戦においては特に戦いが激化しやすく、城兵にとっては生命の危険を伴う極めて危ない場所だったのです。

虎口は防衛の最前線にして最重要拠点

お城を守る側にとって、虎口は防衛の最前線であり、かつ最重要拠点でもありました。敵に虎口を突破されてしまうと、城内へ一気に攻め込まれてしまい、そのままの勢いで落城へと追い込まれてしまう恐れがあるため、守る側にとっては「いかに虎口を死守するか」が攻城戦の勝敗の鍵を握っていたのです。

その一方で、虎口は日常的に出入りしたり、城兵たちが場外へ出撃したりする際の玄関口でもあるため、利便性を保つための工夫も欠かせませんでした。敵の侵入を防ぐために虎口の防御を固めすぎてしまえば、今度はお城で生活する城兵にとっての利便性が損なわれてしまうため、虎口には利便性を保ちつつ、敵の侵入を防ぐためのさまざまな知恵やアイデアが詰め込まれているのです。

防衛拠点として発展を遂げた虎口の種類

中世や戦国時代初期のお城は、敵の侵入を完全に防ぐために、そもそも虎口自体を設けておらず、城内の兵は、必要に応じて梯子などを使ってお城から出入りしていたといわれています。とはいえ、出入口がなければ城兵にとっても不便であるため、戦乱が全国に波及して各地にお城や砦が建てられるようになると、徐々に城兵が出入りするための虎口が設けられるようになりました。

ただ、虎口を設ければ、敵が侵入するリスクも高まります。これを防ぐために、戦国時代を通じてさまざまな種類の虎口が生み出されました。もっとも基本的な虎口といえる「平虎口(ひらこぐち)」を始め、防衛力と攻撃力を兼ね備えた「喰違虎口(くいちがいこぐち)」や、築城の名人といわれた藤堂高虎が大成した「枡形虎口(ますがたこぐち)」などは特に有名です。

それでは、代表的な虎口の種類について詳しく見ていきましょう。

平虎口(平入り)

お城は通常、土塁や城壁などによって防衛されています。虎口を設ける場合、基本的には土塁や城壁を切り開き、そこに門を置くことで出入口とするのが一般的です。このような形式の虎口を「平虎口(ひらこぐち)」または「平入り(ひらいり)」といいます。平虎口は、単に土塁や城門の中に門を置いただけの出入口であるため、城兵の出入りがしやすい一方で、防衛機能はそこまで高くありません。一般的な塀のある住宅に設けられた正門のようなもので、攻撃側は虎口さえ突破すれば城内へ直進することができます。

こうした平虎口の欠点を解消するために作られたのが「一文字土居(いちもんじどい)」と呼ばれる特殊な土塁です。ちなみに、一文字土居とは、虎口の前や奥に築いて城内部を見えにくくするための土塁のこと。大きく分けて2種類あり、虎口の内部にあるものを「蔀土居(しとみどい)」、外部にあるものを「茀土居(かざしどい)」と呼びます。一文字土居を設けることで、たとえ敵兵に虎口を突破されたとしても、城内の様子を見えにくくして敵を翻弄しようとしたわけです。

喰違虎口

「喰違虎口(くいちがいこぐち)」は、土塁や石垣を前後にずらして配置し、城内までの通路を屈曲させた虎口です。この形式の虎口は、開口部が側面に設けられているため、平小口のように一直線で城内へ侵入することができません。

お城へ攻め入るにあたって、敵兵は必ず門の前で方向転換をしなければならず、方向転換するタイミングで土塁や城壁に対して側面を向く状態になるため、その間に守り手は側面から敵兵を攻撃することができます。つまり、喰違虎口では、押し寄せた敵兵を足止めしつつ、敵の側面から一斉に攻撃を仕掛けられるというわけです。なお、このように敵に対して側面から攻撃を仕掛けることを「横矢掛(よこやがかり)」と呼びます。

枡形虎口

虎口から侵入してきた敵兵を迎え撃つだけではなく、一網打尽にすることを目的に作られたのが「枡形虎口(ますがたこぐち)」と呼ばれる虎口です。枡形虎口は、虎口を土塁や城壁で囲い、そこに敵兵をおびき寄せて迎撃するという構造になっています。ちなみに、土塁や城壁で囲った四角い広場が枡のように見えることから、「枡形虎口」と名づけられたそうです。

なお、枡形虎口は大きく分けて、お城の外に枡形の広場を設ける「外枡形虎口(そとますがたこぐち)」と、城内に設ける「内枡形虎口(うちますがたこぐち)」の2種類があり、いずれも門を2カ所設けて通路を屈曲させた「喰違虎口」の発展形といわれています。

また、近世城郭やそれ以降の城郭になると、枡形虎口に石垣や櫓門が設けられ、さらに防衛力が高められています。これにより、守り手は侵入してきた敵を四方八方から攻撃できるようになり、虎口は高い防御力と迎撃力を備えた高度な防衛拠点となりました。

攻撃を想定した虎口の発展形!馬出し(うまだし)とは 

虎口の発展形として、敵が侵入しにくい構造を保ちつつ、虎口の外側に攻撃拠点を設けた「馬出し」も有名です。ちなみに、馬出しとは、堀を挟んで虎口の対岸に設けた小さな区画のこと。この小さな区画を土塁で囲んだり、水堀で区切って土橋や木橋を設けたりして、敵の侵入を防ぎつつ、攻めて出る際も攻撃の拠点として活用しました。虎口は基本的に防衛拠点ですが、馬出しを設けることで攻撃拠点としても活用できるようになったのです。

特に馬の産地が多かった東国で発展した形式とされており、区画を囲う堀や土塁を半円状に描く馬出しを「丸馬出し(まるうまだし)」、カタカナのコの字状に描いた馬出しを「角馬出し(かくうまだし)」など、さまざまな形態の馬だしが誕生しました。なお、真田幸村が「大坂冬の陣」で築いた「真田丸」も、この馬出しの一種であり、守備にも攻撃にも適した形状を生かして徳川軍を何度も撃退したと伝わっています。

現存の虎口や馬出しを体験できるお城は?

虎口や馬出しは、実際に現物を見て自分で攻略法を考えてみることで、いかに攻めるのが難しいのかを実感することができます。たとえば、静岡県には駿府城公園という施設があり、ここでは駿府城東御門の枡形虎口を見ることができます。石垣や門は復元されたものですが、城門から入ると四角い区画があるため、身をもって枡形虎口の恐ろしさを体験することができるでしょう。

国の重要文化財に指定されている江戸城清水門は、江戸時代のものが現存する桝形虎口の城門です。最初の門である高麗門を抜けると、前面には石垣が広がっており、侵入した敵は右に90度方向転換して第2の門である櫓門を通過しなければなりません。石垣の上から敵兵に集中砲火を浴びせられる構造になっており、枡形虎口を突破する難しさを実感することができます。

馬出しに関しては、もともと馬の産地が多い東日本で発展した形式であるため、東日本の城郭でその遺構を見ることができます。現存する遺構としては、名古屋城や篠山城、諏訪原城などが有名です。特に甲斐の武田家では丸馬出しが多く用いられ、武田氏によって築城された諏訪原城にも丸馬出しが設けられています。一方、角馬出しは後北条氏の居城によく用いられた馬出しです。堀障子で有名な静岡県の山中城や埼玉県の鉢形城などで角馬出しの復元を見ることができます。

お城の魅力が詰まっている!虎口からお城の雰囲気を感じよう

お城にとって出入口は最大の弱点です。しかし、弱点だからこそ、築城の際には多種多様な工夫が施されます。お城の虎口には、当時の武将の知恵と工夫が詰まっており、ある意味では本丸以上に見どころの多いポイントといえるかもしれません。そのため、お城見学に行く際は、ぜひ虎口がどういう形状をしているのかということにも注目してみてください。豪華絢爛な本丸にはない、当時の緊迫した雰囲気を感じられるはずです。